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林 子平

国宝 大崎八幡宮と同じ仙台市青葉区にある龍雲院へ。

こちらには林子平のお墓があります。

この龍雲院のある地名は1967年住居表示の際にそれまでの半子町から、墓があることにちなみ子平町(しへいちょう)と改称されているそうです。

20090818_161606876

林 子平 (はやし しへい)

元文3年6月21日(1738年8月6日) - 寛政5年6月21日(1793年7月28日)

「寛政の三奇人」の一人であり、林子平が長崎出島の日時計を模写し作成したと伝わっています。奇人とはすぐれた人という意味です。寛政の三奇人とは、江戸寛政期に活躍した経世論家の林子平(はやししへい)、尊皇思想家の高山彦九郎(たかやまひこくろう)、儒学者の蒲生君平(がもうくんぺい)をさしているのだそうです。

子平の姉が仙台藩主伊達宗村の側室に上がった縁で兄とともに仙台藩の禄を受けていましたが、仙台藩で教育や経済政策を進言するも聞き入れられず、禄を返上して藩医であった兄の部屋住みとなり、全国を行脚します。長崎や江戸で学び、大槻玄沢、宇田川玄随(げんすい)、桂川甫周(ほしゅう)、工藤平助らと交友を深め、ロシアの脅威を説き、『三国通覧図説』『海国兵談』などの著作を著します。また『富国策』では藩の家老、佐藤伊賀にあて藩政について説きましたが、採用はされませんでした。

『海国兵談』は海防の必要性を説く軍事書であったため、出版に協力してくれる版元を見つけることができませんでした。そこで子平は、16巻・3分冊もの大著を、自ら版木を彫っての自費出版にて世に問う決意をします。しかし完成した海国兵談は、老中松平定信の寛政の改革がはじまると政治への口出しを嫌う幕府に危険人物として目を付けられ『三国通覧図説』も幕府から睨まれ、双方共に発禁処分を下される事になったばかりか、海国兵談に至っては版木没収の処分を受けることに。しかしその後も自ら書写本を作り、それがさらに書写本を生むなどして、後世につたえられました。

信念の人 林 子平を初めて知りました。

江戸の日本橋より唐、オランダまで境なしの水路なり!

当時ではびっくりするようなことを言う人だと思われていたことでしょうね。

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