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2007年5月の31件の投稿

東本願寺

地図で見るとそんなに遠くはなさそうだからと、西本願寺から東本願寺まで歩いていくことに。仏具屋さんの通りをぬけていくと、ひっそりとして、とても静かな佇まい。四百年にもわたる歴史の重みを感じさせてくれる空気。ずっと仏具屋さんだね、ほらここには、鐘があるよと京の町を歩いているだけでも、とても興味深く。

ようやく東本願寺に到着。http://www.tomo-net.or.jp/index.html

20070530_10706735東本願寺は、浄土真宗「真宗大谷派」の 本山で正式には「真宗本廟」(しんしゅうほんびょう)といい、御影堂には宗祖・親鸞聖人(1173~1262)の御真影を、阿弥陀堂にはご本尊の阿弥陀如来を安置しています。(写真は御影堂です)

本願寺は、京都東山の麓の大谷の地にありましたが、江戸時代、徳川家康が本願寺第12代 教如上人に京都東六条の(現在地)寺地四町四方を寄進、これにより本願寺が誕生しました。そして1602年に本願寺がふたつに分かれたときに開かれたお寺です。堀川六条の東に位置するため、東本願寺(愛称お東さん)と称されるように。

御朱印は、やはりここでも受け付けてはいらっしゃいませんでした。なぜでしょう。また勉強してみます。あとひとつで、ちょうど御朱印帳がいっぱいになって結願となるのに。この京都の旅での満願をと思っていたのですが。

西本願寺

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興正寺を出て左へ進むと、

 お隣がすぐに西本願寺です。http://www.hongwanji.or.jp/index.html

本願寺(西本願寺)は、浄土真宗本願寺派の本山で、親鸞聖人が開祖である浄土真宗は、阿弥陀仏の願力によっていかなるものも救われる法です。1994年(平成6年)12月世界文化遺産に登録されました。

実はここは私の学んだ武蔵野女子大学(現在は、武蔵野大学)武蔵野女子学院http://www.musashino-u.ac.jp/の大学4年生の日文国文研究室主催の冬の文学散歩の旅行で、最終日の最後に訪れた思い出の場所でもあります。武蔵野女子は、京都の西本願寺の流れをくんでいて、当時の授業では、必ず必修で仏教学の授業がありました。

ここには、金閣、銀閣とともに京都三名閣のひとつ飛雲閣があります。http://www.hongwanji.or.jp/youkoso/cb/cb_04.html

また重要文化財の阿弥陀堂(本堂)は、宝暦10年(1760)に再建されたもの。それはもう本当に大きな建物で、阿弥陀さまの広いお心をあらわしているかのようです

御朱印をお願いしたのですが、「うちは浄土真宗なので、御朱印はやっていないんです」と。理由は聞きそびれてしまいました。どなたかご存知の方がいらっしゃったら、ぜひ教えて下さい。

興 正 寺

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筍亭でお昼をいただいて、バスは一路、京都駅へ。しかしまだ新幹線の時間までには、2時間近くあるとのことで、荷物を預けて、近くのお寺さんに行ってみようと。

確か、東本願寺、西本願寺は近いから、行ってみようねと、母とともに、歩き出したのだが、お東さんに行こうとしていたのに、    どうやらお西さんに到着。  

と思いきや、ここは西本願寺ではなくて、興正寺(こうしょうじ)。 http://www.koshoji.or.jp/re-new/mainpage.htm

へぇー、こんなとこにお寺さんがあったんだ。知らなかったぁ。ちょうど春の法要で信者の人たちが大勢集まり、御影堂に読経の声が響き渡ります。私も母と一緒にそうっと入らせていただいてお参りしてきました。

興正寺は、1212年(建暦二年) 親鸞により山科に創建されましたが、1532年(天文元年)8月に兵火にかかって消失。いったん、大阪天満にご真影を移し、1591年(天正十九年)に、本願寺とともに、現在に地に寺基を移しました。その後、明治9年に、別派独立し、浄土真宗興正派の本山となりました。本山だけあって大伽藍なのですが、一見すると西本願寺の伽藍の一部と見まがうようにも思えました。

御朱印もいただいて、さあ、今度は!

50.000hit ありがとうございます

20050907_21453614111ここで、『 春爛漫 京都・奈良 桜紀行 母娘ふたり旅 』の

        番組の途中ですが、ニュースをお伝えします。

昨日、5月27日(日)午前九時頃(と思われます)、

ブログ 「ハッピーサンフラワー」は、

      50,000hitを達成いたしました!

そして、本日のこの記事は、600本目の記事になります。

みなさまのお力で2005年9月7日からスタートした「ハッピーサンフラワー」

こうして一昨年の暮れからは、毎日更新させていただいておりますが、

これもひとえに、みなさまのあたたかいお力のおかげです。

本当にありがとうございます!

ブログを続けてきたおかげでたくさんの素晴らしい素敵なご縁をいただいております。  これまで知り合った方、そして私がまだお目にかかったことがない方からも本当に大きなお力をいただきまして、心から感謝しております。

事前にお知らせできなかったのですが、もしも、50,000hitちょうどを確認された方がいらっしゃいましたら、コメント、若しくはrasasayan15@yahoo.co.jp まで、ぜひご連絡下さいませ。ささやかですが、私からプレゼントを差し上げたいと思います。

次は、55,555で☆ぜひまたみなさん毎日ご覧いただきまして、55,555hitジャストを!

どうぞこれからも 末永くよろしくお願い致します。

                               以上 富澤がお伝えしました。

筍  亭

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嵐山、渡月橋をあとにして、京都市内より洛西方面へ。桂川を越えたところにある緑の静寂にかこまれた豊かな自然中にある筍亭(じゅんてい)は筍料理で有名なお店です。

筍 亭(じゅんてい) 

 http://www.tim.hi-ho.ne.jp/tf_takenoko/

洛西は竹の里というのは、初めて知りました。ここ筍亭(じゅんてい)は、塚原に持ち藪があり、土作りから管理、生産、収穫まですべて自家製だそうです。ですので、朝掘りの取れたての美味しい筍が味わえるとのこと。 山椒焼き、田楽、若竹煮、筍ご飯、天婦羅、吸い物と、筍づくしのお料理は、滋味ゆたかで本当に新鮮な旬のものをいただいているんだなぁと。母も私も筍料理は初めてです。どれも味わい豊かなお料理。竹の里、京都・洛西で味わう筍料理。とても美味しくいただきました。

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お庭が綺麗に手入れされていて そして玄関前の大きな紅枝垂桜も、とても立派でまさに満開!素晴らしかったです。お庭にもたくさんの桜が咲いており、また竹やぶもあって、昼食の後、母とお散歩しました。立ち止まって美しいはんなりとした鮮やかなピンク色の桜を眺めます。一緒に桜を観たかった人に心の中で話しかけます。

「きれいでしょう。」 「こんなに美しい京都の桜を一緒に観ることができて嬉しいです」と。

美味しい筍料理、竹やぶや見事な満開の桜のお庭での散策と、大満足のひとときでした

法 輪 寺

渡月橋の優美な姿、そして満開の嵐山公園の桜を楽しんで、少しまだ時間があるようだし、ようし!あの山の上のお寺さん目指して行ってみる?!と。

てくてくと歩き、急な狭い石段を登りきったそこには、法輪寺が。 http://www2.ocn.ne.jp/~horinji/

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正式には、虚空蔵法輪寺(こくうぞうほうりんじ)といい、西暦713年元明天皇が創建させたお寺とのこと。本尊の虚空蔵菩薩は、知恵、福徳、寿命の本願であり、そのことから、『十三まいり』のお寺として知られています。『十三まいり』とは、昔の京都の風習で、十三歳前後の厄難を無事逃れ、成長するように、(この頃は成長期にあたり体の変調が大きく)また賢くなるように(このあたりでは知恵もらいというそうです)参拝しお祈りする行事です。参拝した後は、振り返ったらつけてもらった知恵を落としてしまうとのことで、渡月橋を渡り終えるまでは、決して振り返ってはいけなかったそうです。

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ここから渡月橋あたり、桂川、

京都市内の景色も見渡せて、

晴れた青空のもと、

高いところから眺める

春の京都の町、嵐山公園の桜がずっとつづいているさまは、

とても清々しく爽やかな気分に♪

  

渡 月 橋

20070525_12454297桜を楽しむには、渡月橋の方がいいとのことで、初めて母と渡月橋へ。紅葉のときにも訪れたのですが、そのときは遠くから眺めただけでした。木造の橋をゆっくりと渡りながら桂川を眺めます。両岸には、遥か遠くまでずっと満開の桜でいっぱいです♪  写真は渡月橋から嵐山を。

渡月橋は平安時代はじめの承和3年(836年)に空海の弟子、道昌が大堰川を修築したおりに架橋されたものといわれています。渡月橋の呼称は、亀山上皇が曇りのない夜空に月がさながら橋をわたるようなさまを見て、「くまなき月の渡るに似る」と感想をもらしたことから「渡月橋」と呼ばれるようになったそうです。

渡月橋と桜を背景にここでもたくさん写真を撮りました。さて、ここで問題です。2泊3日の春爛漫 京都・奈良 桜紀行 母と娘のふたり旅で、一体、全部で何枚の写真を撮ったでしょうか?コメントにお気軽にお寄せ下さい。 正解は・・・旅のあとがきで。

20070525_12535657橋のたもとにあった新八茶屋で抹茶ソフトパフェを。

母と私、二人で仲良くひとつの抹茶ソフトパフェを

美味しいね、渡月橋、嵐山公園の桜は

本当にたくさん咲いていて  

綺麗だったね、素晴らしかったねと

お喋りしながら楽しみました。  

天 龍 寺

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平野神社をあとにして、嵐山へ。世界文化遺産である天龍寺は、後醍醐天皇の冥福祈願のため、足利尊氏が建立した臨済宗天龍寺派の総本山です。

尊氏は、この寺の造営資金獲得のために元との貿易を再開し、幕府公認の貿易船「天龍寺船」を運航させたといわれています。また、この寺は京都五山の第一位として広大な寺領を持ち勢力を振るっていたのですが、室町幕府の衰亡とともに衰えました。
http://www.rinnou.net/cont_03/10tenryu/index.html


また、わが国で初めて特別名勝に指定された曹源池庭園は夢窓国師の作庭で、嵐山と亀山(
小倉山)の借景を巧みにとりいれた回遊式庭園はとても優美で、独特の美しさを誇ります。いつまでもそこに座ってこのお庭を眺めていたいと。そう、思い出しました。大学4年の冬に初めて天龍寺を訪れて、お庭を眺めたこと。同じ庭を月日を経て、こうして母と二人で楽しむのも二回目になります。

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青空のもとの散策は、本当に気持ちのよいものです♪桜も咲き、他の花々も。そして、お庭の青紅葉を見ていて、とってもきれいねと。活き活きとした青紅葉は、とても鮮やかな美しさ。青空にもよく映えます。

母が、ほら、これが秋になると赤く色づくんだねと。そうね、一昨年の秋に、ここ天龍寺にもお母さんと一緒に紅葉を楽しみに来たものね。嵐山もたくさんいろんなところを散策したねと話しながら、立派に手入れが行き届いた大きな曹源池庭園のお庭をめぐりました。

平野神社

20070523_45334657_1奈良・京都、本当にどこの桜も見事なまでに満開で、美しく、素晴らしかったです。中でもここ平野神社の桜は、ひときわ優美でたわわに花をつけていました。http://www.geocities.jp/daa01397/

平野神社は「北野の梅、平野の桜」とも言われ、前日の朝のTV番組でも桜の中継をしていたというくらい、とても有名な桜の名所とのこと。苑内には50種、400本もの桜が。早咲きの品種は3月中旬に咲き始め、遅いものは4月の20日頃に咲く品種があり、約1ヶ月間、桜を鑑賞できることが特色でもあるそうです。

魁 桜、寝覚桜、胡蝶桜とその名前ひとつとっても本当に風情があり、趣を感じます。http://www.geocities.jp/daa01397/sakura.htm

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平野神社は、794年(延暦13年)、平安遷都の際、桓武天皇が奈良より勧請し、創建されました。4つの社殿がふたつに結合された平野造と呼ばれる本殿はめずらしいもので、重要文化財に指定されています。

京の花見の名所、平野神社で、やわらかなピンク色に身をつつまれて、最高の朝のお花見♪

おこてはる

Im_top0081たっぷりと一日歩き回り、夜の高台寺の拝観も堪能して、この晩もぐっすりと眠れました。翌朝、1Fのレストラン「コージー」でビュッフェの朝食を。滝の見える開放感あふれるレストランは、大勢の外国のゲストでいっぱいでした。焼きたてのパン、たくさんのメニューの朝食を楽しみ、フルーツもコーヒーもいただいて、部屋に戻り、荷物を持ってロビーへ。

チェックアウトの手続きをしていたときでした。カウンターには、私と大柄のアメリカ人とおぼしき白髪の男性。なにやら、ホテルスタッフに交渉しています。カウンターの中にいた、ANAホテルの担当者の若い男性ふたりのうち、その外国の方と話していたひとりが、二人とも手先だけはてきぱきと動かしながら、「おこてはる」と。なんだろう?と思って、聞くともなしに聞こえてきたのは、どうやら、部屋のアップグレードを求めていたらしく、それが無理だとわかって怒っているらしいと。なんだか、その小声でボソッと聞こえた「おこてはる」(東京風に言うと、「怒ってるよー」でしょうか。)その京都弁のあたたかみとやわらかな  表現が、とってもユニークでした。

高 台 寺

20070521_80531485高台寺は、豊臣秀吉の正室、北政所(ねね)が1606年(慶長11)に秀吉の菩提を弔うために開いた寺です。ねねの寺とも言われています。http://www.kodaiji.com/

創建当初は徳川家康の援助もあり、広大な寺域をもつ壮麗な寺でしたが、度重なる火災に遭っています。桃山様式の創建当時の面影を残すのは、開山堂(重要文化財)と、須弥檀や厨子の高台寺蒔絵で名高い霊屋[おたまや](重要文化財)、伏見城から移した茶室傘亭(重要文化財)と時雨亭(重要文化財)、表門(重要文化財)、観月台(重要文化財)などがあります。

夜間拝観では、庭園がライトアップされるということで、たくさんの人が訪れていました。写真の桜の木は、お庭全体の各所を少しずつ時間差でライトアップしていくというもの。ゆっくりと照らし出されていくその様は、幻想の世界にいるような美しさで、いつまでも見とれていました。

20070521_80617876また東山を借景にした小堀遠州作の庭園(名勝・史跡)も、とても素晴らしい見応えがあるものでした。木々がお庭の池に映しだされ、まるでそこから何か龍か神さまが出ていらっしゃるかのような雰囲気なのです。本当に綺麗だね、と母と何度も言っていました。

そして大きな竹林があり、高く高くすくっと伸びた竹が空をおおいつくすかのように。ずっと見上げていると、まるでこの世のものともあの世のものとも区別がつかないような、自分のいる場所が、どこなのか。かぐや姫になって天から迎えがくるのではと。

高台寺は、大変素晴らしくとてもよかったねと、母も私も大満足でした。

雲  海

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京都全日空ホテルの  

http://www.ana-hkyoto.com/index.htm

日本料理 「雲 海」 にて夕食に京会席をいただきました。

http://www.ana-hkyoto.com/restaurant/unkai/index.html

窓が大きく明るく広い店内で外の緑を楽しみながら、旬の幸を生かしたお食事を一品一品ゆっくりと味わいます。母は、お料理好きなので、この素材はなんだろうね、美味しいね。こういった会席料理をふたりで食べるのは初めてだねと。

前菜    ホタルイカ酢味噌  胡瓜  茗荷  ラディッシュ

吸 物    油目葛打ち よもぎ麩

造 里   鯛  縞鯵 鮪

焚合せ  筍 桜花長芋 鯛の子 結びぜんまい

焼  物   ホタテの豆乳グラタン  パプリカ  ブロッコリー

揚 物  天子唐揚げ  春野菜の天婦羅 

      筍御飯  香の物  赤出汁 

水 物  季節の水物

どれも素材のよさを、春の香りを感じさせるとても洗練されたよいお味でした。母もとても喜んでくれていました。

京都全日空ホテル

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京都全日空ホテルは、二条城の真ん前にある。京都の街のお堀の桜はどこも満開で美しく、 二条城前の桜というのは、一段と風情を感じられる。ここは夜間の桜のライトアップも行っているとのこと。行ってみたいのだが、今夜、夕食のあとは他の場所へ出かけることがもう決まっている。

 

窓から京都の春の夕日を眺めて。

戻 橋

20070515_170630751晴明神社から歩いて1-2分のところに戻橋があるとバスガイドさんの話で聞いていたので、晴明神社をあとにして、急ぎ戻橋へ。安倍晴明が戻橋の橋の下に式神を閉じ籠めていたというこの橋。一条戻橋(いちじょうもどりばし)は、平安京の最北端にあり、都の内と外の境目に架かっています。

延喜十八年(918年)文章(もんじょう)博士・三善清行(みよしきよつら)が亡くなった時、父の死を聞いた子の浄蔵が紀州熊野から京都に馳せ帰ってみると、その葬列は丁度この橋の上を通っていた。浄蔵は棺にすがって泣き悲しみ、神仏に誠意をこめて祈願したところ、不思議にも父清行は一時蘇生して親子物語を交わしたという伝説から戻橋(もどりばし)と名付けたという。太平記、剣の巻きによれば、その頃、源頼光の四天王の一人であった渡辺綱(わたなべのつな)が、深夜この橋で容貌美しい女子にやつした鬼女に出逢ったという伝説もあるところだそうです。                                

現在も京都では嫁ぎ先から戻ってこないようにと、婚礼時はこの橋を渡らないそうです。  近くには人影もなくてひっそりとした中、心に秘して戻橋をゆっくりと渡ってみました。

                              

「安倍晴明と陰陽師」

20070517_13807672_1私は昔、上京(かみぎょう)の一条戻橋(もどりばし)の近くに住んでいた。陰陽師・安倍晴明は多くの式神(職神しきじん:陰陽道などで使われる鬼神・使役神のことで一般の人には見えない)というものを使い、人の動向を探って占いをしたが、この安倍晴明の妻が家に式神を置くのは困ると言うので、戻橋の橋の下に式神を閉じ籠めて、用事があるたびに呼び出しては人の運命を占ったという。こういう場所なので、一条戻橋には様々な奇怪な話しがある。私が住んでいたのは若い時なので、そういう奇怪な話を一切信じなかったが、それでも何となく不気味なのでなるべく戻橋を渡らないようにしていた。            

 ところが最近安倍晴明がブームになり、戻橋の西側に鎮座する晴明神社には連日若者、特に若い女性が宮司の山口喜堂氏の口から出る神の託宣を聞きに来ているという。噂の通り、先日私がこの晴明神社を訪れた時も、たくさんの若い女性が託宣の順番を待っていた。宮司の山口氏は託宣の席を外して私に詳しく神社の由来を語ったが、私は待たせていた女性に済まないような気がしてならなかった。それほどその場の雰囲気は真剣であった。

                  ~ 梅原猛の著「京都発見」から「安倍晴明と陰陽師」より

私が御朱印を書いてもらったのが、宮司の山口氏ご本人だろうか?御朱印帳がもうすぐ満願になるので、新しい御朱印帳をと思ったのだが、さすがに晴明神社のオリジナルの西陣織の御朱印帳は、表に大きく五芒星(ペンタグラム)が記されており、他の神社仏閣の神さまとは意を異にするように思えたので、買い求めはしなかった。ホテルに戻った際、母にもそのことを話すと、それはそうだよねと。梅原先生もおっしゃるように安倍晴明のお力とはすごいものなんだろうなぁと。なんでも、不思議な霊力を持つ人との名を恣にした。特に死者を蘇らせた話しが有名であるとのこと。あなおそろしや。

                        

安倍晴明

20070515_170302329上賀茂神社から当夜の宿泊ホテルへ向う途中に、陰陽師で有名な安倍晴明(あべのせいめい)の晴明神社があるとわかり、チエックイン後、母は疲れてしまったからというので、夕食までのわずかな時間に、ひとりタクシーに乗って晴明神社へ。 http://www.seimeijinja.jp/index.html

タクシーの運転手さんに「晴明神社へお願いします」というと、「晴明さんね」と。こちらはみんな「さん」を付けるものなんだなぁと思いながら、運転手さんのお参りのレクチャーに耳を傾ける。なんでも、「~~して下さい」ではいけないとのこと。「~~なりますように」と、「ように」で止めておくのが大事らしい。あと、お願いごとはひとつねと。正直、お願いごとも勿論だが、せっかく晴明神社にタクシーで1メーターほどの割合すぐ近くのところのホテルだし、京都は広いから、また晴明さんに来たいと思っても、それはそれで大変だろう。映画にもなった「陰陽師」、なにやら特別なパワーのあるところということで有名だし、せっかくだから御朱印ももちろんいただいてと。そんな思いでタクシーに飛び乗った。

20070515_170407719夕暮れどきの晴明神社に到着。辺りは人影もなく、ひっそりと静まり返っている。そもそも晴明神社は、晴明公の屋敷跡であり、天文陰陽博士として活躍していた拠点であった場所とのこと。晴明公が亡くなられた後、一条天皇は晴明公の偉業が尊いものであったこと、そして晴明公は稲荷大神の生まれ変わりであるということで、寛弘4年(西暦1007年に)その御霊を鎮めるために晴明神社を創建。心を落ち着けてひとり手を合わせる。

小さな境内はすぐにすべて見て回れた。晴明井は、山城名泉のひとつで病気平癒の水としてご利益がある水が湧き出てくるとのこと。こういったものひとつとっても晴明神社の神紋である晴明桔梗で、晴明公の造られた独特のもので陰陽道に用いられる祈祷呪符の一つであるのが特徴的。誰もいない夕暮れの境内は、式神が出てきそうな雰囲気さえ漂ふ。

                                            

浮気の虫封じ

20070514_193241547京都で最も古い神社のひとつであり、伊勢神宮に次ぐ神格が与えられた由緒ある上賀茂神社。76万㎡もの神域は1時間ほどではすべてを観て回ることとはむつかしく。でも、ここは紅葉も美しいというので、ぜひまたゆっくりと訪れたいと思いました。清々しい気持ちで一ノ鳥居をくぐると、前には焼きもちやさんが2軒並んでいます。

上賀茂神社名物の「焼きもち」(「葵餅」とも)は、その名から浮気の虫封じになるとも伝わっているそうです。葵家やきもち総本舗の焼きもちは、白とよもぎ入り、それぞれ1個105円。北海道産大納言の小豆で作られた餡を江州産の羽二重餅で包み込み、鉄板で色よく焼き上げた手作りの味。羽二重のモッチリとした食感と、ざらめで仕上げたほどよい餡の甘さが絶妙な旨味を引き出しています。昔ながらの素朴さと焼き立て熱々でやわらかい焼きもちをその場でいただきました。母も私もとっても美味しいね!と。

下鴨神社はみたらし団子の発祥の地、今宮神社はあぶり餅が有名と              各神社によって名物があるのだと初めて知りました。

                             

御 神 威

20070514_145151626京都の三大祭のひとつである「葵祭」。古墳時代後期の欽明天皇(540 ~571年)のとき、凶作に見舞われ飢餓疫病が流行したため、天皇が勅使をつかわし「鴨の神」の祭礼を行ったのが起源だそうです。毎年5月15日に葵祭りを行うのがここ上賀茂神社です。正式には賀茂別分雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)といいます。桓武天皇の御代に都が京都に遷されて以来、皇城鎮護の神、鬼門の守り神、総地主の神として崇められました。雷(いかづち)の御神威により、厄を祓いあらゆる災難を除き給う厄除(やくよけ)明神・落雷除・電気産業の守護神として広く信仰されています。

白い玉砂利を踏みしめてまっすぐ歩いてゆき、二ノ鳥居をくぐると細殿(拝殿)の前には、とても美しい二対の立砂が。これは、社の北西にある神山(こうやま)を形どったで、神が降りる憑代(よりしろ)だそうです。実は、上賀茂神社のご神体は、本殿の北北西約2Kのところにあり、雷神が降臨されたといわれている「神山(こうやま)」とのこと。

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やっぱりここには神さまがおいでになるところなんだ。確信しました。玉橋を渡り朱塗りの桜門をくぐって幣殿へ。旅に出る前から決めていました。ここ上賀茂神社は、神さまがおいでになるところだから、この旅でお神籤を引くとしたらここ上賀茂神社でと。

お参りして心を落ち着かせてお神籤をひきました。お神籤は神さまからのお言葉です。     きちんと心に書き留めました。                      

庭園・ 渉渓園を歩いてみました。ここは曲水宴(きょくすいのえん)が行われるところです。古来中国から渡ってきた貴族の遊びでしたが、現在では雅な楽が奏される中、斎王代陪覧のもと、当代一流の歌人により和歌が詠まれ、冷泉家時雨亭文庫の皆様により披講されるそうです。平安の雅びを今に伝えるもので洵に一幅の活画であるといえるでしょう。

目に見えぬ大きな何かで包まれ、そこかしこに今も息づく歴史と伝統の趣き。       やはり上賀茂神社は特別な場所でした。京都でも好きな場所のひとつになりました。

   

                             

上賀茂神社

20070513_35338657『 ここには

   神さまがいらっしゃる。 

               まちがいない。 』

三月末から四月にかけて放映されていた京都・上賀茂神社の桜の美しさを見事に謳ったTVCMを観ていて、惹きつけられてやまなかった。行ってみたい! 

ぜひ、ここに行ってみたい!

TVCMを観るたびにその思いを強くしていた。

そして、念願叶って世界文化遺産である 上賀茂神社へ。http://www.kamigamojinja.jp/

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一ノ鳥居をくぐると、

そうまさしく観ていた広大な悠久の昔より変わらない佇いを残す境内が広がっている!

すごい!なんて広いんだろう。

二ノ鳥居まで向って右手には、    大きな枝垂桜が何本も。

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左手には、見返りの桜、むちうちの桜などがずらっと並んでいる。

みな満開で、空気が違う。まるで違う。一歩足を踏み入れたとたんに、厳かな神々しさに身をつつまれる。  

ここは       

    神さまのおわしますところ。

                                                                   さあ、中へと入ってみましょう。

すべてが楽し

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存分に楽しんだ奈良の吉野をあとにして、バスは一路、京都へ。そう、京都⇔奈良間の移動はすべてバスガイドさんつきの大型バスでした。それにしても、奈良は古墳が多い。いったい、何百人埋葬されているのかしら?と思いたくなるくらいに、ハイ、ここは○○古墳、次は&%古墳と、見た目には大きなもしくは小さな小高い丘のようにしか見えないのですが。

天理などを通ると、その町全体が宗教一色で、天理教の法被(はっぴ)を来た人たちの姿が街角に多く見られました。おちばがえりのための大きな宿泊施設の建物など、ここは紅葉のときにも通ったので、その景色が目に焼きついています。道中は、長いです!でも、さすがバスガイドさん、プロフェッショナルだけあって、各地の見所、名所の説明をしながら、時折、歌などもまじえて、決して飽きさせることなく、時には子守唄のように心地よくも聞こえて、京都へと案内してくれるさまは、すごいなぁって感心しました。京都のバス会社さんだったので、京都に入るやいなや、さっきまで見ていた説明ノートはどこへやら、水を得た魚のように、途端に口の回りがよくなったように思えました。 

さあ、次はいよいよ待ちに待ったあちらを訪ねます!   

  

吉野みやげ

吉野に着いて驚いたのは、人の多さもさることながら、その両脇にずらっと並んだ食堂やお土産やさんのたくさんなこと!まあ、本当にいろんなものを売っている。お漬物から、桜の柄の入った瀬戸物、吉野葛のお菓子のお店などなど、あちこち目移りしながら中千本へと歩いてゆく。

地元のお野菜の販売をしていたお店で、母は丹波の黒豆が欲しいというので、3袋購入。一個800円だったのだが、3袋あったのを全部欲しいから、おまけしてね!と言うと、小声で「ほな一個600円でええわ」やったあ!言ってみるものねぇ、母と(^0^)♪

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親戚には、吉野葛を使って作られたという小さな可愛らしいお菓子の詰め合わせ。見ていても、とても美しい。試食をしたのだが、口に入れるとすぅっと溶けてゆく感じが、またはかなげでいい。私も吉野葛のさくら餅とやらを、大好きなあなたと食べたくて買って帰ってきたのだが、まだその機会には恵まれず。

あと吉野の郵便局のワゴンが出ていて、綺麗な台紙におさまった吉野山の自然の切手を購入。

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そして、吉野と言えば、

            やはり桜。

ゆえに

桜の大判のハンカチーフ。

        

               

                  そして、ここで驚いていただきましょう

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かの有名な吉野杉で出来たまな板!!二千円成り。

母と、きっと東京で買ったらこの値段じゃ変えないよねということで、あろうことか吉野山からまな板を下げて帰ってきたのである。

まだ使ってないのだけど。

使うときは、よいまな板にはよい包丁ということなので、

 やっぱり奈良の包丁と一緒にね☆

春の吉野

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吉野にはその桜に惹かれて、 多くの文人墨客が訪れたそうです。

古くは西行法師が吉野に庵を結び、多くの歌を残しました。

春を見し昔の心あらためて 

 吉野の里に住まんとぞ思ふ

 その西行法師に憧れ、吉野に2度杖をひいたのが松尾芭蕉です。貞享元(1684)年の秋9月に西行法師を慕って、奥千本西行庵に向かい、

           露とくとく 試みに浮世すすがばや

と詠んで、「野晒紀行」にまとめました。さらに4年後、弟子の坪井杜国を伴い、花の吉野を目指し、その旅を「笈の小文」にまとめました。

また吉野での花見といえば、豊太閤秀吉の花見を抜きには語れません。秀吉が、絶頂の勢力を誇った文禄3(1594)年、徳川家康、宇喜多秀家、前田利家、伊達政宗ら錚々たる武将をはじめ、茶人、連歌師たちを伴い、総勢5千人の供ぞろえで吉野山を訪れました。しかし、この年の吉野は長雨に祟られ、秀吉が吉野山に入ってから3日間雨が降り続きました。苛立った秀吉は、同行していた聖護院の僧道澄に「雨が止まなければ吉野山に火をかけて即刻下山する」と伝えると、道澄はあわてて、吉野全山の僧たちに晴天祈願を命じました。その甲斐あってか、翌日には前日までの雨が嘘のように晴れ上がり、盛大に豪華絢爛な花見が催され、さすがの秀吉も吉野山の神仏の効験に感じ入ったそうです。秀吉の気性がうかがい知れるエピソードですね。それにしても遥かここ吉野まで総勢5千人のお供をしたがえての花見というのは、スケールが大きいですね。

吉野には源義経と静、南北朝時代の後醍醐天皇など、国学者本居宣長らが様々な場面で歴史の舞台に登場しなどます。吉野にはこれらにまつわる神社仏閣・史跡が点在し、その当時の面影を残す悠久の里です、今も脈々と伝えられる歴史や文化を通して遠い昔に思いを馳せつつ。 日本古来のヤマザクラの美しさと気品、風情に出会えた感動でいっぱいでした。

お稚児さん

20070509_85146422お昼の柿の葉寿司のお弁当をいただいたあと、母と一緒に吉野の中千本へと歩いていく。大勢の吉野山めぐりの人々でにぎわうなか、大日寺のところにはなんとも可愛らしい子供の山伏たちとお稚児さんが。

聞けば今日は花供懺法会と大名行列があるとのこと。なるほど、だから金峯山寺のところにもその用意がしつらえてあったのね。花供懺法会は、蔵王権現のご神木・山桜の満開を御本尊に報告する行事。1000年の歴史を持つ金峯山寺の伝統法会で、奴行列を先頭に金峯山の鬼、お稚児さん、山伏、僧侶、そして行列の最後は管長猊下が乗られた大名籠と続く10万石の格式を持った行列が行われるとのこと。正午、竹林院を出発。 蔵王堂到着後、花供懺法会と採灯大護摩供。 午後3時頃より、前日の千本搗き で搗かれた餅を撒く、御供撒きが行われるそうです。

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子供用の山伏装束とお稚児さんの姿がとても可愛らしく。毎年吉野山の桜が満開となる頃にこういった行事が行われるそうです。 今日はだからよりいっそう人出が多いのね。大名行列を見てみたかったがそこまでの時間はむつかしく。 大名行列、ちょっぴり見てみたいね、でもお稚児さんや山伏装束で少し雰囲気が感じられていいねと話しながら、青空の吉野山を母とふたりで歩いていました。

柿の葉寿司

金峯山寺を拝観して、境内へ。広い境内には紅白の幕がかかり、なにやらしつらえてある。母と、何かあるのかねと話しながら、手元の柿の葉寿司のお弁当を広げる場所を見つけて腰をおろす。境内には大勢の人たちが思い思いにお昼ごはんを広げたり、休んだりと。中には髭をたくわえた修験者の姿も。

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柿の葉寿司のお弁当をそうっと広げてみる。さば、鮭の切り身をすし飯にのせ、かおり豊かな柿の葉で包んだ柿の葉寿司が四隅に。玉子焼きや煮物、魚などいろいろと少しずつ入っていて美味しそう(^0^)!いただきまーす!と母とふたり、こうして屋外でお弁当を広げて食べるなんて、思いおこせばなかなかない機会。それこそ、小学校の運動会以来?かしら。

柿の葉寿司は、吉野(奈良)から紀北(和歌山)にかけて、広く一般に作り続けられている伝統のお寿司。お祭りには欠かす事の出来ないご馳走として親しまれ、文豪 谷崎潤一郎の「隠翳礼賛」の中にもふるさの味として紹介されています。柿の葉の香りと鯖のうま味が紡ぎ出す絶妙な味わい。さばの脂や塩気がすし飯にまわり、柿の葉の香りとすし全体がほど良くなじんで、美味しいねと母と顔を見合わせてにっこりと。桜の花が風で舞い散るのを眺めながら楽しいお昼のひとときでした。

金峯山寺

20070507_82221563金峯山寺(蔵王堂)にいたる参道には金峯山寺の総門である黒門、続いて銅の鳥居(かねのとりい)が。銅の鳥居は高さ7.5m、東大寺の大仏さんの残りの銅で造られたそうです。

金峯山寺(きんぷせんじhttp://www.kinpusen.or.jp/index.htmは、 天正19年(1591)頃の再建。国宝の蔵王堂です。尾根道の高台に突き出た威風堂々のたたずまいに圧倒されます。室町時代の再建で、高さ約34m、間口約36m、重層の入母屋造り桧皮葺き、東大寺の大仏殿につぐ大建築といわれます。何より驚かされるのは大屋根を支える68本の柱。自然木をそのまま使用しているのが豪快。梨、つつじの柱も珍しいものです。

もっとも特徴的な、本尊 三体の金剛蔵王権現像は秘仏。

http://www.kinpusen.or.jp/guide/guide_2.htm

ぜひ↑そのお姿をご覧になって下さい。

堂の東北すみに少し小ぶりの蔵王権現像が祀られ、頭髪は逆立ち乱れ、背後には火炎が燃え盛り、口の両端から牙が刃のように出ていて、今まで見たこともないようなとても迫力のあるものでした。その青黒の色は大慈悲を表わしているといいます。
他にも童子立像、聖徳太子像、役行者像・前後鬼坐像など多くの寺宝が収蔵されていました。

御 神 木

20070505_110855719そもそもこんなにたくさんの桜は山岳信仰と密接に結びついて植えられたものだそうです。起源は今から約1300年前にさかのぼります。その当時は、山々には神が宿るとされ、吉野は神仙の住む理想郷として認識されていました。のちに修験道の開祖と呼ばれる役小角(役行者・えんのぎょうじゃ)は、山上ヶ岳に深く分け入り、一千日の難行苦行の果てに憤怒の形相もおそろしい蔵王権現を感得し、その尊像こそ濁世の民衆を救うものだとしてこの木に刻み、これを山上ヶ岳と吉野山に祀ったとされています。

20070505_110918282その後、役行者の神秘的な伝承と修験道が盛行するにつれて、本尊を刻んだ「桜」こそ「御神木」としてふさわしいとされ、またそれと同時に蔵王権現を本尊とする金峯山寺への参詣もさかんになり、御神木の献木という行為によって植え続けられました。

写真は、金峯山寺です。

母と参拝してみようということに。

では中へ入ってみましょう。

   

    

吉 野 山

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憧れの地である             日本一の桜の名所    世界遺産の吉野山へ。

下千本、中千本、上千本、奥千本と吉野の山に3万本ともいわれるシロヤマザクラが豪華絢爛に咲きみだれるというその景色をかねてからぜひ見てみたいと思っていました。

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青空が広がり、               絶好のお花見日和。  

吉野山に到着してからはお昼御飯の柿の葉寿司弁当を手にして吉野散策です。到着した下千本の桜は葉桜でしたが、道の両脇にある露店や土産物屋をあちこちのぞきながら、だんだんと登っていくと、遥か向こうに見える上千本、奥千本の桜のなんと美しいこと!俯瞰でながめるのが 吉野の花見と初めて知りました。

桜の花吹雪も心地よく、これが吉野の桜なのね♪ほんと素敵ね!素晴らしいわね。

雄大な吉野山を埋め尽くすように、

本当にたくさんの優雅で気品のある見事な桜が満開で、一生の思い出になりました。

 

                             

茶  粥 

20070504_92028610奈良ホテルの朝。朝陽が燦燦とさしこんで緑に囲まれたダイニングルーム「三笠」で朝食を。前日に予約しておいた茶粥朝食2,541円。茶 粥(ちゃがゆ)は、奈良の名物だそうで、この旅で初めて食するのをとても楽しみにしていました。大和伝統の焚き方をした茶粥は、よく煮出したほうじ茶と米を強火にかけ、沸騰後追い水3回、強火のまま大きくかき混ぜ、吹きこぼれないよう弱火で蒸らします。薄い塩味仕上げの粥は、さらりとして滋味深いもの。母と小鳥のさえずりを聞きながら美味しく茶粥朝食をいただきました。

20070504_92009985朝食後、ホテル入り口の大きな枝垂桜の前で母と記念撮影。ドアボーイの方が快く二人の写真を撮って下さいました。

古都の情緒、そしてゆったりとした時の流れを感じる関西の迎賓館・「奈良ホテル」。憧れの奈良ホテルに念願叶ってこうして宿泊し、たっぷりと楽しむことができて、しあわせいっぱいです。母も奈良ホテルとってもよかったねと喜んでいました。今度はどこのクラッシックホテルに泊まってみようかねと。         さあ、今日はいよいよあの桜の名所へと向います。よいお天気で気分も最高です!

                                   

奈良ホテル THE BAR  

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正面玄関から入ったつきあたりが「THE BAR ザ・バー」。   母に一杯飲もうよ、入ってみようと。                 母とこういったホテルのバーに入るのは初めて。

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木のあたたかみを感じる店内、ほの暗い照明の中、庭に面した一番手前のソファに。

ギムレットとジンリッキーを注文する。   

ソファ席が5つほど、そして仕切りの中にはバーカウンターと席がまたいくつかある、   とてもこじんまりとしたバー。

20070503_81557829そしてうっすらと見える暗い庭には、大きな大きな染井吉野の桜の木が満開で、ライトアップされている。わぁ、とっても素敵ね!バーの中の照明がガラス窓に映し出されてお庭の桜の上に雪洞が灯っているかのよう。幻想的な雰囲気の中、母とカクテルのグラスを傾ける。東京でいつもいただくものとはちょっぴり味わいもちがって感じる。古き佳き明治時代の装飾を残す趣深い店内、大きな夜桜はいつまでも眺めていたい。いっそ、この素晴らしい夜桜とこの空間を東京までもって帰りたいと。奈良大和路の夜を心ゆくまで母とふたりで味わいました  

             

                          

桜の間の調べ

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フロントのはす向いにありゆったりとしたソファが並んだラウンジ「桜の間」 ひとけはなくしんと静まりかえっている。奥にあるこの平成の大時計はドイツ・ウルゴス社製のもの。  天皇陛下のご即位を祝してホテル「桜の間」に置かれたそうです。天皇陛下・皇后陛下ご来館の際、(平成2年12月1日)この場所にお立ち寄りになられ「伝統の奈良ホテルにふさわしい置き物」とのお言葉を賜りました。皇后陛下は15分後毎に流れるメロディを特にお気に召され、ホテルご出発の朝、わざわざお聴きに来られるという出来事もあったそうです。優しいオルゴールの調べが静かな桜の間にゆったりと響き、奈良の夜の時を奏でていました。

                      

奈良ホテルの夜

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ディナーをいただいたあとは、母とふたりで奈良ホテル内を少し歩いてみました。全体に照明が落としてあって少し暗い落ち着いた雰囲気の中、フロントのすぐ前にある赤い絨毯敷きの階段を上がってゆくと、奥には寛げるようにソファが置かれています。そして壁にはここは美術館かと見まごうような大きな絵がたくさん飾られていました。

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そのうちのひとつ、この池田寒山「片岡山の飢人に施衣」を観ていると、母がこの絵の話は聞いたことがあるわと。2年前にホテル所有の美術品を一堂に集めて展覧会を開いたそうですが、ほとんど宣伝もしなかったのに、大盛況で身動きもとれなかったそうです。

20070501_92426751_1上村松園「花嫁」もとても素晴らしく。フロントのところにあるマントルピースの上に飾られていました。

本館はどんな感じなのかしらと、今度は本館の方へ。私たちが泊まっているのは吉野建て造りの新館です。本館の廊下はよりいっそう暗く、しんと静まり返っています。廊下の幅は2メートル半もあるでしょうか。とっても広いことに驚きました。廊下に置かれた銀色の暖房のスチームひとつとっても時代を感じさせます。ドアの向こうはどんな造りのお部屋になっているのかしら。あっ、灯りがついてるよ。ここはお部屋は誰か泊まっているのかな。きっと新館とちがってすべてレトロな感じなのかしらねと。天皇皇后陛下がお泊りになるのは、きっとこちらの本館のインペリアルスイートなんだろうね。そんな会話をかわしながら、歴史と文化の香り高い奈良ホテルの夜を感じていました。

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